私は「ふつうの中小企業」を研究したい
日本の中小企業について書かれた本や記事を読んでいると、ふしぎな空白に気づきます。
メディアでは、独自の強みを発揮して活躍する素晴らしい中小企業の特集をよく目にします。書店に並ぶビジネス書も、ニッチな分野で勝負する優良企業の事例ばかりです。
その一方で、ジャーナリズムや政策研究の世界では、経営に苦しむ零細企業や、ブラック企業として問題視される会社の話が活発に論じられています。
しかし、その間にある中小企業――スーパースターでもなく問題企業でもない、ごくふつうの中小企業――について、いったい誰が真面目に研究しているのでしょうか。
私には、ここに重大な空白があるように思えてなりません。今回は、一人の研究者としての私が、いま何を考えているのかについて、率直にお話ししたいと思います。
スーパースターと問題企業の狭間
中小企業を語る言葉には、二つのグループがあります。
ひとつは、成功した中小企業についての言葉です。独自の技術を持つ町工場、ユニークなアイデアで独自商品を生みだす商店、地域に根ざした個性的な会社。経営学者やコンサルタントが、これらの会社の戦略を分析し、その秘訣を本に書きます。
もうひとつは、苦境にある中小企業についての言葉です。下請けとして大企業に買い叩かれる工場、人手不足で立ち行かなくなる店、後継者不足で廃業する事業所。エコノミストや政策研究者が、これらの会社の困難を統計で示し、政策を提言します。
しかし、私自身が中小企業の経営者の方々にインタビューを重ねるなかで、強く感じることがあります。日本の中小企業の大半は、そのどちらでもないのです。
メディアに取材されるほど突出しているわけではない。倒産の危機に瀕しているわけでもない。ごくふつうに従業員を雇い、ごくふつうに取引先と仕事をし、ごくふつうに毎月の決算を回している。賃金水準は決して高くないけれど、それなりに長く続いている。そんな中小企業が、日本には膨大に存在しているのです。
私はこの広大な領域を、「ふつうの中小企業」と呼んでいます。日本経済を実際に支えているのは、スーパースターでも問題企業でもなく、この「ふつうの中小企業」の集合体です。
ところが、研究の世界では、この「ふつうの中小企業」がほとんど真正面から論じられていない。スーパースターの研究と、問題企業の研究との狭間に、巨大な空白が広がっています。
なぜでしょうか。
既存研究の二つの流れと、その死角
研究者の世界をのぞいてみましょう。
中小企業研究は、大きく二つのグループに分かれています。
ひとつは、マルクス経済学の系譜を引く研究です。大企業が中小企業を収奪し、優秀な人材も資金も独占する――こうした構造のなかで、中小企業はほぼ必然的に苦しむ存在として描かれます。中小企業は、運命に翻弄される「悲劇のヒロイン」のような扱いです。
もうひとつは、経営学を足場にした成功事例の研究です。独自の経営戦略によって市場で勝ち抜いた優れた中小企業を取り上げ、その成功要因を分析します。優れた戦略を学べば、中小企業も大企業に伍して戦えるのだ、というメッセージが込められた研究です。
この二つの流れは、中小企業の実像のそれぞれ一面を捉えてはいます。しかし、よく考えてみると、どちらの研究も「ふつうの中小企業」を視野に入れていないことに気づきます。
マルクス経済学的な研究は、中小企業を経済構造の被害者として描きますが、現にそこそこ穏当に経営を続けている「ふつうの中小企業」のことを、その枠組みでは捉えきれません。彼らは、被害者と呼ぶにはあまりにも元気だからです。
成功事例の研究も同様です。成功した会社の戦略を抽出することはできても、「なぜ多くの会社はスーパースターにならないのか」を問うことはできません。スーパースターでないふつうの会社は、暗黙のうちに「変革を怠った会社」として自己責任論的に処理されてしまうか、あるいは単純に分析の射程から外れてしまう。
つまり、既存の研究はどちらも、中小企業を「悲劇のヒロイン」か「成功した英雄」か、どちらかとして見る視座しか持っていないのです。その間に広がる「ふつうの中小企業」を語る言葉が、研究の世界には不思議なほど欠けている。
私は、ここを掘り下げたいのです。
これから取り組みたい二つの仕事
私には、これから取り組みたい二つの仕事があります。
ひとつは、「ふつうの中小企業」をもっと細かく見ていくことです。
ひとくちに「ふつうの中小企業」と言っても、業種、地域、規模、取引構造によって、その姿は大きく違うはずです。建築業のふつうと、小売業のふつうは違う。地方の家業のふつうと、都市部の同族企業のふつうも違う。
あるいは、業種や企業規模を超えて、同じような「ふつう」が共有されていることもあるかもしれません。研究として注目すべきは、むしろこちらでしょうね。
中小企業の多様性と共通性を、現場の方々の声を聞きながら、丁寧に解きほぐしていきたいのです。「中小企業」という粗い言葉では掬いきれない多様性と、その多様性のなかに表れる共通性を、誠実に整理し直すこと――それが、私が取り組みたい仕事のひとつです。
もうひとつは、歴史を「ふつうの中小企業」の目線から編みなおすことです。
戦後日本の経済史については、すでに膨大な研究が積み重ねられています。しかし、その語り口にも、先ほど触れた二つのパラダイムの偏りが反映されています。
マルクス経済学的な視座からは、中小企業がいかに大企業や金融資本に収奪されてきたか、という歴史しか書けません。中小企業は、戦後経済史のなかで一貫して苦しめられてきた存在として描かれます。とくに1980年代以降の歴史は、収奪が苛烈化する過程として書かれます。
一方、経営学的な視座からは、中小企業がどのように経営を近代化・高度化してきたか、という歴史しか書けません。優れた経営手法を取り入れた企業や、経営革新に成功した企業が市場で勝ち抜いてきた物語が、繰り返し語られます。
しかし、極端に収奪されてもいなければ、極端な高度化を遂げたわけでもない、ごくふつうの中小企業は、戦後の経済をどのように生きてきたのでしょうか。「モノが足りない時代」を、どのように経験し、何を考え、どのように振る舞っていたのでしょうか。バブル崩壊以降の長い停滞のなかで、どんなふうに事業を続けてきたのでしょうか。
その歴史を、ふつうの中小企業の目線から編みなおしていきたい。
歴史は、社会科学の基礎です。自然科学では実験ができますが、社会科学はなかなか実験ができません。そのため、私たちは歴史から法則性や教訓を学びます。「ふつうの中小企業」の歴史を書くことは、「ふつうの中小企業」の社会科学のための基礎なのです。
おわりに ―― 私の想い
私の想いは、シンプルです。
スーパースターの輝かしい成功譚でもなく、被害者としての悲劇でもなく、その間にある「ふつうの中小企業」について、誰かが真剣に語る必要がある。日本経済のマジョリティを担う会社たちのことを、研究者として、ちゃんと言葉にしたい。
そしてその言葉は、当事者を断罪するものであってはならない、と私は強く思っています。「だからあなたたちはダメなんだ」と糾弾する研究を、私はしたくありません。それと同時に、「すべては大企業や政府が悪いんだ」と外部に責任を転嫁する研究も、したくないのです。
経営者の方々が日々の現場で何を感じ、何に迷い、何を選び取っているのか。そのリアリティに寄り添いながら、それでも一歩引いた研究者の視座から、ふつうの中小企業の世界を解き明かしていきたい。そう考えています。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。