「ハビトゥス」 — 行動が変わらない本当の理由

なぜ「正しい知識」だけでは行動が変わらないのか
経営陣がいくら素晴らしい経営理念や戦略を掲げても、現場の日常業務の進め方は驚くほど変わりません。あるいは、個人がビジネス書を読んで「明日から行動を改めよう」と決意しても、いざ実戦の場に立つと、気づけばいつもと同じ行動パターンを繰り返してしまいます。
人間や組織の行動を縛る、この目に見えない強固な慣性の正体は何でしょうか。単なる意志の弱さや、モチベーションの低さとして片付けてしまうのは簡単ですが、それでは根本的な解決にはなりません。
この問題に対して、非常に鮮やかな補助線を提供してくれるのが、20世紀後半のフランスを代表する社会学者ピエール・ブルデューが提唱した「ハビトゥス(Habitus)」という概念です。
この記事では、人間の行動を無意識のうちに支配しているハビトゥスの本質を紐解き、なぜ知識を学ぶだけでは人は変われないのか、それともう一歩踏み込んで、この見えない概念をいかに組織や自己の変革に応用していくかを考えていきます。
ハビトゥスの本質 — 私たちを支えつつ縛る「処世術」
思想の世界には、古くから大きなジレンマがありました。「人間は自らの意志で自由に生きている」とする実存主義(サルトルなど)と、「人間は社会のシステムや構造に完全に支配されている」とする構造主義(レヴィ=ストロースなど)の対立です。
ブルデューはこの「自由か、支配か」という極端な二項対立を乗り越えようとしました。そのために彼が生み出したのがハビトゥスという概念です。ハビトゥスを分かりやすく表現するなら、人間が特定の環境のなかで生き抜くために獲得した「身体化された処世術」と言えます。
深く考えずに最適に動ける強さ(エンパワメント)
私たちは生まれ育った家庭環境、教育、あるいは所属してきた組織のなかで、とある状況や環境において「うまくやっていく」ための「身のこなし」を無意識のうちに身につけていきます。これがハビトゥスです。
適切なハビトゥスを身につけていれば、人間はいちいち深く思考することなく、その場その場で直感的に最適な行動をとることができます。例えば、長年同じ業界にいるベテランが、言葉にできない絶妙な間合いで顧客と信頼関係を築けるのは、その場に適合したハビトゥスが身体に染み付いているからです。このように、ハビトゥスは日々の実践において人間を強力にエンパワメントしてくれます。
環境変化による「枷(かせ)」への変貌(拘束)
しかし、このハビトゥスにはもう一つの顔があります。時代や組織、直面する環境が劇的に変化したとき、それまで自分を支えてくれていた処世術が一転して、自らを縛り付ける強固な「枷」へと変貌してしまうのです。
例えば、かつて「上意下達の確実な実行」が評価される環境で優秀だった人が、突然「自律性とイノベーション」を求められる新規事業の環境に放り込まれたとします。その人は頭では「自由に動かなければならない」と理解していても、身体に染み付いた「指示を待つ、前例を踏襲する」というハビトゥスが無意識のうちに作動してしまいます。
新しい環境のなかでは、古い環境に適合していたハビトゥスほど、変化を拒む強力な抵抗勢力になります。ハビトゥスは人間を日常の不必要な思考から自由にする一方で、環境変化の局面では人間を不自由に拘束する二面性を持っているのです。
世界をよりよく理解するための「概念=装置」
ここで重要なのは、ハビトゥスという実体が私たちの身体のどこかに実在するわけではない、ということです。ブルデューは、ハビトゥスという物質や器官がどこかに存在すると主張したわけではありません。そうではなく、ハビトゥスという概念を用いれば、さまざまな複雑な社会現象をきれいに説明することができる、と主張したのです。
こうした態度は、学問の世界においてはそれほど珍しいものではありません。たとえば、私たちは日常的に「重力」という概念を用いて世界を理解しています。しかし、誰も重力そのものを直接見たことがあるわけではありません。私たちが実際に観測しているのは、あくまで「モノが地面に向かって落ちる」という現象だけです。それにもかかわらず誰も重力の存在を疑わないのは、重力というものがあると仮定すれば、この世界の仕組みを上手く説明できるからです。
ブルデューが「ハビトゥス」という言葉に込めたのも、これとまったく同じ論理でした。ハビトゥスとは、私たちが生きる社会のダイナミズムを、より深く理解するための「概念=装置」にほかなりません。便利な装置があるなら、活用したいと思うでしょう?
コラム①:あなたの「好み」は本当にあなたのものか?
ハビトゥスという概念の社会学的な意義を理解する上で、ブルデューの代表作『ディスタンクシオン』(原著1979年)は外せません。
この本の中でブルデューは、膨大な統計データをもとに、私たちが「自分の意志やセンス、直感で選んでいる」と思っている趣味や嗜好が、実は生まれ育った環境や社会階層によってあらかじめ方向付けられていることを証明しました。
例えば、どのような音楽を好むか、どのような絵画を美しいと感じるか、さらには食べ物や家具の好みに至るまで、それらは個人の純粋な内的センスではなく、育つ過程で内面化されたハビトゥスに基づいています。そしてその「好み」の表明は、無意識のうちに「私はあの人たちとは違う」という他者との境界線(ディスタンクシオン)を引くための処世術として機能している、とブルデューは指摘しました。
ハビトゥスとは、社会の中で自らを他者と区別し、自らの立ち位置を確保するための、目に見えないコードでもあるのです。
ハビトゥスの書き換え — MG研修に見る「行入」の力
身体に深く染み付いたハビトゥスを、私たちはどのようにして書き換えていけばいいのでしょうか。ここに、企業研修や自己変革がしばしば失敗する本質的な原因が隠されています。
「理入」の限界と「行入」の本質
一般的な教育や研修の多くは、まず座学によって知識を教え込もうとします。これを思想や修行の言葉で「理入(りにゅう)」と呼びます。理屈から入るアプローチです。
しかし、どれだけ優れた経営理論や戦略のロジックを頭(主観)で理解したところで、身体に沈殿した無意識の処世術であるハビトゥスまでは届きません。頭では「こうすべきだ」と分かっていても、いざ現実の盤面に立つと、古い身のこなしが勝手に出てしまうからです。
真に行動や認識の変容をもたらすのは、理屈を一旦脇に置いて、とりあえず身体を動かすことから始める「行入(ぎょうにゅう)」のアプローチです。思考を挟む前に、新しい実践を反復せざるを得ない環境に身を投じること。これこそが、ハビトゥスを書き換える唯一の道です。
マネジメントゲームという強烈な「場」の機能
この「行入によるハビトゥスの書き換え」を驚くべき純度と強度で実現しているのが、皆さんもよく知るマネジメントゲーム(MG)です。
マネジメントゲームの場において、参加者は一人の経営者としてゲームのルールと流れの中に強制的に組み込まれます。右も左も分からない状態であっても、市場のダイナミズムの中で刻一刻と迫る意思決定を下し、自らの手で決算を書き、次の戦略を練るという実践のプロセスを、圧倒的なスピード感の中で回し続けなければなりません。
ここでは、「まずはじっくり勉強してから」という理入の猶予は与えられません。分からないなりに、まず身体を動かすこと(行入)が強制されます。
実践の反復がもたらすハビトゥスのアップデート
ゲームという特殊な「場」の中で意思決定と決算という実践を泥臭く反復していくうちに、参加者の身体には変化が起き始めます。
まるで会計を理解していなかった経営者が、入札価格や戦略チップの試行錯誤を繰り返しつつ、マトリックス会計によってその都度フィードバックを与えられることで、だんだんと会計感覚を掴んでいきます。この会計感覚というのは、まさしくハビトゥスです。
それまで「従業員」としてのハビトゥス(与えられた枠組みの中でうまくやる処世術)に縛られていた人が、ゲームのプロセスを通じて、大局的な資金の流れを捉え、リスクを取って投資判断を下す「経営者」としての身のこなしを、文字通り身体で覚えていくのです。
文字で書かれた教科書を100回読むよりも、ゲームの盤面で100回意思決定をする方が、圧倒的に早く人間が変わる。その本質は、行入(実践の反復)によってハビトゥスそのものが強制的にアップデートされる点にあります。
コラム②:日本の中小企業を縛る「昭和のハビトゥス」
ハビトゥスというレンズを通して日本経済を見渡したとき、ひとつの重大な仮説が浮かび上がります。それは、日本の中小企業の多くが、今なお「昭和のハビトゥス」に囚われているのではないか、という問題です。
「昭和のハビトゥス」とは、具体的には以下のような態度や思考パターンを無意識に生み出すハビトゥスを指します。
- 作れば売れる/並べれば売れる
- 仕事は向こうからやってくる
- 売上が大きいのは良いことだ
- 会計なんかよく分からん
- 食っていければそれでよい
こうした身のこなしは、決して経営者の怠慢や能力不足によるものではありません。高度経済成長期から1980年代にかけての、いわゆる「モノが足りない時代」には、これらはきわめて合理的で、環境に適合した優れた処世術でした。市場全体が右肩上がりで拡大している状況下では、複雑な戦略を考えずとも、とにかく実直に手を動かしていれば事業が成り立っていたからです。
しかし、モノやサービスが完全に飽和し、人口減少が進む現代社会において、この昭和のハビトゥスは一転して、企業の生存を阻む強固な「枷」へと変わります。かつての成功を支えた無意識のルーティンが、激変した21世紀の環境下で、全国の中小企業を経営不振に陥らせているのではないでしょうか。
経営戦略のアップデートや生産性向上の議論をする前に、まずその土台にある企業のハビトゥスそのものを問い直す必要がある。これからの中小企業研究は、中小企業に残存する「昭和のハビトゥス」に着目するべきだと考えています。
古い枷を脱ぎ捨て、新たな実践の場へ
私たちが自らの行動を変えようとするとき、あるいは組織の文化を変革しようとするとき、必要なのは「意識の改革」を叫ぶことではありません。意識やマインドセットというものは、ハビトゥスという強固な土台の上に浮かぶ上層建築に過ぎないからです。
本当に変革を望むのであれば、自らがどのようなハビトゥスに支えられ、あるいは縛られているのかをまずは客観的にメタ認知すること。その上で、新しいハビトゥスを獲得せざるを得ないような「実践の場」を選び取り、そこに身を投じることです。
身体を動かす実践の場(行入の場)へと身を置くこと。それこそが、古い枷を脱ぎ捨てて新しい自分へと生まれ変わるための、最も確実でダイナミックな方法なのです。