中小企業研究へのハビトゥス概念の導入 — 構造決定論と主体全能論の止揚

★★★ かなり専門的(研究者や学生が対象)

こちらのほうが読みやすい!

目次

1. 序論:本稿の課題設定と既存研究上の位置取り

日本の中小企業における低生産性問題は、戦後を通じて持続している構造的課題です。『中小企業白書(2024年版)』を見ても、大企業、中規模企業、小規模事業者の労働生産性(従業員一人当たりの年間付加価値額)中央値はそれぞれ605万円、315万円、168万円と顕著な格差を示しており、賃金水準にも同様の格差が観察されます。

まったく同じ問題に対する精密な診断が、1958年に出版された山中篤太郎編『中小企業の合理化・組織化』(有斐閣)のなかですでに与えられていました。日本学術振興会第118委員会に集まった当時の研究者たちは、経営の小規模性、経営管理の前近代性、過度競争、非対称な取引関係といった構造的要因を分析し尽くした上で、それらでは説明しきれない残余として、経営者のエートス、すなわち現状への「諦めの精神」を最終的な要因として指し示しました。70年近くを経た現在も、彼らの診断はほぼそのまま通用してしまうのが実情です。

しかし、それから今日までの中小企業研究は、この問題に正面から取り組むことを構造的に困難にする二つのパラダイムに分断されてきました。一方には、黒瀬直宏らに代表されるマルクス経済学の系譜を引く構造決定論があり、中小企業を大企業体制のなかで収奪・市場縮小・経営資源欠乏という三つの悲劇を被る受動的存在として描き出してきました。他方には、独自の強みを発揮して環境適応に成功した一握りの優良企業を扱うケーススタディの蓄積があり、そこでは正しい経営理論を学べば企業は変革可能であるという、主体全能論的な前提が暗黙裡に共有されがちです。

その結果、最もボリュームの大きい「変わりたくとも変われずに苦しむ中小企業」あるいは「変わろうとすら考えていない中小企業」、いわば「日本経済の岩盤」とも呼ぶべき存在が、両パラダイムの狭間に置き去りにされてきました。山中らがエートスという言葉で指し示そうとした問題は、その後の研究のなかで体系的に深められることなく、現代に持ち越されています。

本稿は、この理論的空白を埋めるために、ピエール・ブルデューのハビトゥス概念を中小企業研究に導入することを提案します。ハビトゥス概念は、山中らのエートス概念を否定するものではなく、その形成過程・身体的次元・変容メカニズムを理論的に拡張するものとして位置づけられます。ハビトゥス概念を導入することによって、1958年の研究者たちが「諦めの精神」として静的に指し示すにとどまった中小企業経営者の行動様式を、特定の歴史的環境に対する適応として動的に分析することが可能になるのです。

以下、本稿の構成は次の通りです。第2節でハビトゥス概念の核心を本稿の議論に必要な範囲で整理した上で、第3節において本稿の中核的貢献である構造決定論と主体全能論の止揚を論じ、続く第4節と第5節で、その止揚がもたらす倫理的含意(自己責任論を回避した内面分析)と方法論的含意(戦後日本経済史の再記述)をそれぞれ展開します。第6節で結論と今後の研究展望を示します。

2. ハビトゥス概念の本質:身体化された処世術

ここで、本稿の鍵となるハビトゥスという概念について整理しておきます。フランスの社会学者ピエール・ブルデューが提唱したハビトゥスとは、人間が特定の環境のなかで生き抜くために獲得した、身体化された処世術を指します。

ブルデューは、社会構造や過去の環境が、言葉による学習を介さずとも、日々の実践の反復を通じて人間の物理的な身のこなし(姿勢、話し方、思考の型など)に刻み込まれていくと考え、これを身体ヘクシスと呼びました。この身体ヘクシスは、ハビトゥスの重要な構成要素です。獲得されたハビトゥスは忘却された過去であり、基本的には無意識のレベルで作動するため、慣れた状況のなかでいちいち深く思考することなく直感的に最適な行動をとることを可能にします。環境が安定している限り、ハビトゥスは主体を強力に支える基盤となります。

しかし、直面する環境が劇的に変化したとき、このハビトゥスは一転して自らを縛り付ける強固な枷へと変貌します。過去の環境で身につけた身体ヘクシスと、新しく直面した環境条件との間に生じるズレや拒絶反応は、ヒステレシス効果と呼ばれます。ハビトゥスは、人間を日常の不必要な思考から自由にする一方で、環境変化の局面では変化を阻む強固な慣性として機能するという二面性を持っています。

加えて、ハビトゥスは、それ単独で機能するのではなく、特定の場(champ)との関係のなかで作動します。場とは、固有のルールと資本配分の論理を持つ社会的領野であり、ある場に参入した行為者は、その場に対応したハビトゥスを獲得していきます。

中小企業研究の文脈に引きつければ、特定の業種・業界、取引ネットワーク(系列・下請構造)、地域経済圏といった社会的領野が、中小企業経営者のハビトゥスを形成する場として作動していると考えることができます。本稿で扱う「昭和のハビトゥス」も、特定の歴史的時期における日本の中小企業をとりまく場との対応関係のなかで形成された処世術として把握されるべきものです。

本稿の議論にとって重要なのは、ハビトゥス概念が、山中編書のエートス論が抱えていた三つの限界を同時に克服する点です。

第一に、エートスが「諦めの精神」という意識的な態度として把握されていたのに対し、ハビトゥスは身体ヘクシスとして無意識のレベルで作動する性向を扱います。これにより、経営者本人が改革の意志を明確に持っているにもかかわらず、いざ実践の場面では古い行動パターンに戻ってしまうという、実践のレベルで頻繁に観察される現象を理論的に説明できるようになります。

第二に、エートスが静的に指し示されるにとどまっていたのに対し、ハビトゥスは特定の歴史的環境に対する適応として形成過程を持ちます。これにより、なぜ日本の中小企業経営者層が特定のエートスを共有するに至ったのかという問いに、歴史的な答えを与える道が開かれます。

第三に、エートスが変革のメカニズムを欠いていたのに対し、ハビトゥス論は実践の反復を通じた書き換え可能性、すなわちヒステレシス効果からの脱出経路を理論的に含意しています。

これら三点において、ハビトゥス概念はエートス概念を継承しつつ、それを動的・歴史的・身体的な次元へと拡張するものなのです。

ハビトゥスについて分かりやすく!

3. 中核的貢献:構造決定論と主体全能論の止揚

序論で述べたように、現代の中小企業研究は、マルクス経済学の系譜を引く構造決定論と、成功事例ベースのケーススタディに見られる主体全能論的傾向の二極に分かれています。両者はそれぞれに豊かな研究蓄積を持ちますが、いずれも「変われずに苦しむその他大多数の中小企業」を理論的に把握する装置を欠いています。

マルクス経済学派のアプローチは、大企業体制という基本構造の下で中小企業が被る収奪問題、経営資源問題、市場問題という三つの悲劇を強調します。この世界観のもとでは、中小企業はマクロな構造に翻弄される受動的な「悲劇のヒロイン」として記述され、現場が自らの内発性によって変化を遂げうるという主体的可能性が、理論的に閉ざされがちです。

対照的に、経営学を主たる足場とする中小企業研究は、独自の強みを発揮して環境適応に成功した優良企業のケーススタディを蓄積してきました。それ自体には大きな学術的価値がありますが、こうした成功事例研究は、正しい経営理論を学べば変革は可能であるという、変革の主体的契機を強調する前提を暗黙裡に共有する傾向があります。その結果、現場で身体化された行動様式の慣性──変革の意志があってもなお実践が古いパターンに戻ってしまう現象──が、分析の射程から零れ落ちることになります。

ここで導入を提案するハビトゥス概念は、そもそもブルデュー自身が、行為を自由意志の発揮とみなす実存主義(サルトル)と、行為を構造の効果に還元する構造主義(レヴィ=ストロース)との二項対立を止揚するために構築したものでした。ハビトゥスを身につけた人間は、社会構造によって深く規定されつつも、その内面化された性向を実践のなかで動員する「実践する主体」として把握されます。完全な構造の従属物でもなく、完全な自由意志の所有者でもない、規定されつつ実践する生身の人間像が、ハビトゥス概念によって獲得されたのです。

本稿が提案するのは、ブルデューが社会理論一般において行ったこの止揚の操作を、中小企業研究という個別領域に対して同じ方向で適用することにほかなりません。中小企業の経営者は、戦後日本経済の特定の歴史的環境のもとで自らのハビトゥスを身につけた歴史的存在として、構造に規定されつつ実践する主体として記述されます。これにより、構造決定論が見落としていた現場の能動性も、主体全能論が見落としていた身体化された慣性も、同一の理論的枠組みのなかで同時に分析することが可能になります。

この止揚操作によって初めて、両パラダイムの狭間に置き去りにされてきた中小企業の大多数──「岩盤」と呼ぶべき存在──が、研究の正当な対象として浮上します。岩盤を構成する企業群は、構造の犠牲者でもなければ、変革を怠った当事者でもありません。彼らはむしろ、過去の歴史的環境に対して十分に適応的だった処世術を、激変した現代環境のなかでなお保持し続けている、歴史的に条件づけられた実践の主体として描き直されることになります。

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4. 倫理的含意:自己責任論を排した内面・行動様式への歴史的アプローチ

前節で示した止揚の操作は、本稿の議論にとって二つの重要な含意をもたらします。本節ではそのうち第一の含意、すなわち倫理的含意を論じます。

中小企業研究において、経営者側の内面や能力に課題があると指摘することは、現代の学会において一種のタブーとされてきました。フィールドワークにおける関係性への配慮や、マクロ統計に依存する研究手法の限界から、中小企業を無条件に肯定するか、あるいは外部環境の被害者として一面的に処理せざるを得ない言説空間が形成されているためです。

1950年代の創始者たちは、構造的要因の精密な分析を尽くした残余として経営者のエートスを指し示したのであり、その問題提起は今日でも本質的な妥当性を保っています。ただし彼らは、エートスの形成過程と変容のメカニズムを理論化する概念装置を持たなかったため、エートスを静的な性向として記述するにとどまりました。その結果、彼らの議論が「結局は経営者の精神的態度の問題だ」という自己責任論的な読解へと滑落してしまうリスクは、本人たちの意図にかかわらず、概念装置のレベルで構造的に残されたままだったのです。

ハビトゥス概念は、このタブーを克服しつつ、自己責任論を精緻に回避する道を提供します。高度経済成長期から1980年代中盤までの経済拡張期、すなわちモノが足りない時代において、近代的な管理会計やマーケティングを欠いた行動様式(昭和のハビトゥス)は、その環境を生き抜くためにきわめて安定的かつ合理的な処世術でした。

したがって、現代の中小企業が示す変化できないという態度は、個人の怠慢や能力不足によるものではありません。それは、過去の歴史的環境への適応として培われたハビトゥスと、激変した現代の環境条件との間に生じる構造的な摩擦、すなわちヒステレシス効果として説明されるべきです。ハビトゥス概念は、経営者を断罪することなく、行動様式の慣性と変化を歴史的に分析する客観的な枠組みを提供します。

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5. 方法論的含意:戦後日本経済史の再記述

続いて、3節の止揚操作がもたらす第二の含意である方法論的含意を論じます。社会科学の基礎を歴史記述に置くならば、本稿が提案する理論的操作は、戦後日本経済史の記述を精緻化する具体的な経路を開きます。

従来の被害者史観に基づく戦後経済史は、オイルショックやバブル崩壊、グローバル化といったマクロな外部環境の激変に対し、中小企業が一方的に淘汰・収奪されていく衰退の物語を描いてきました。しかしそこでは、大企業が日本のものづくりの現場に対して行ってきた技術指導の歴史的貢献や、彼ら自身がグローバル市場で生き残るために余儀なくされた自己防衛の論理が単純化されているだけでなく、中小企業側の内発的な対応動態が捨象されています。

ハビトゥスを軸に歴史を再記述する場合、それは単なるマクロ構造の変遷史ではなくなります。かつての環境に適合的だった身体ヘクシスが、環境の激変に直面した際、いかにして現場のためらいや葛藤を生み出し、構造的な摩擦を引き起こしたのか──こうした問いを正面に据えることで、戦後日本経済史に対し、これまでの経営史・経済史研究の蓄積を継承しつつ、新たな分析次元を加えることが可能になります。マクロ構造の変遷と、ミクロな身体的適応のタイムラグとが織りなす相互作用は、ハビトゥス概念を媒介とすることで初めて、体系的な分析対象となるのです。

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6. 結論と今後の研究展望

本稿は、ピエール・ブルデューのハビトゥス概念を中小企業研究に導入することの理論的貢献を、3つの観点から論じてきました。中核的貢献は、構造決定論と主体全能論の止揚であり、ブルデュー自身がかつて社会理論一般において行った止揚の操作を、中小企業研究という個別領域に対して同じ方向で適用するものでした。その派生的含意として、自己責任論を排した内面分析という倫理的含意と、戦後日本経済史の再記述という方法論的含意とが、それぞれ導かれます。

ハビトゥス概念の導入によって、中小企業の経営者は、抽象的なマクロ構造の従属物でも、純粋な自由意志の所有者でもなく、戦後日本経済の特定の歴史的環境のなかで、特定の場(業種、取引ネットワーク、地域経済圏など)に固有のハビトゥスを身につけ、それを実践のなかで動員する歴史的・身体的な存在として再定義されます。

以上の理論的整理を踏まえ、今後の研究課題として二つを提示します。

第一に、ハビトゥスを軸にした中小企業セクターの動的類型論の構築です。本稿3節で本稿の中心的な分析対象として位置づけた「岩盤」は、それ自体まだ十分な解像度をもって理論化されているわけではありません。経営者層の世代、業種、取引構造、地域といったの諸条件と、そこに対応するハビトゥスの諸類型との関係を解明することで、従来の規模別・業種別の静的分類を超えた、実践の論理に基づく動的類型論を構築する余地があります。これは、中小企業研究において長く課題とされてきた「異質多元性」に、新たな理論的秩序を与える試みでもあります。

第二に、ハビトゥスの書き換えに関する実証研究です。本稿で論じた止揚操作は、ハビトゥスが固定的に主体を縛りつけるだけでなく、新たな実践の反復を通じて書き換えられうるという、ブルデュー理論の含意を当然に引き受けます。座学による理入の限界を超え、身体操作の反復によってハビトゥスを書き換える行入の場として、マネジメントゲーム(MG)のような実践装置がいかに機能するか。また、経営者個人のハビトゥス転換が組織内の他のメンバーへと波及する際に、どのような組織的摩擦が生じるか。岩盤から脱出しつつある企業群の質的データに基づき、こうした変容プロセスを精緻に理論化することが、今後の重要な課題です。

最後に、本稿の主張を支える確信を一言だけ述べておきます。社会科学は、人間理解を基礎として営まれるべきものです。ブルデューのハビトゥス概念は、構造に規定されつつ可能性に開かれている「生身の人間」への視座を開きます。中小企業研究にハビトゥス概念を導入することの究極的な根拠は、その概念がもたらす人間理解の深さなのです。

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