そもそも研究とは何か

いやあ、難しい問いです。

研究って、いったい何なんでしょうね。

この問いに私なりに答えてみます。

どうか、お付き合いください。

目次

研究とは、知識の生産である

研究とは、知識の生産である。

なるほど、分かりやすい定義です。

知識を生産している人はすべて研究者と言えるでしょう。工場の生産ラインで、不良品率を減らすために試行錯誤している人。事務所の会議室で、新事業開発のためにアレコレ考えている人。マネージャーとしてうまくやっていくために、部下の人間特性を把握しようとしている人。これらの人々は、それぞれの目的に沿って研究をしているわけです。

研究は、学術研究者の専売特許ではありません。

しかし、広い意味での研究と、学術研究には、その目的に明確な違いがあります。

日常的に行われる知識の生産は、基本的には、「目の前」の問題を解決するという目的を持っています。たとえば、不良品率を減らす。新事業を開発する。マネージャーとしてうまくやっていく。このような「目の前」の問題を解決するために、人々は知識を生産します。

それに対して、学術研究は「遠い未来」を見渡します。二十年後や三十年後、あるいは百年後の世界を見渡して、遠い未来をよりよいものにするための知識を生産しているわけです。そのため、学術研究で生産される知識は、すぐに役立つわけではありません。しかし、優れた研究は、時間をかけてじわじわと社会を変えていきます。学術研究者たちは、「遠い未来」のために知識を生産するのです。

だからといって、学術研究の方が偉いというわけではありません。

これは、知識の生産における役割分担です。「目の前」の問題ばかり考えていたら、いつの間にか取り返しのつかない事態に陥ってしまうかもしれない。けれども、逆に「遠い未来」のことだけを考えて、目の前の問題をおろそかにすれば、そもそも「遠い未来」はやってこないでしょう。「目の前」のための知識の生産と、「遠い未来」のための知識の生産。健全な社会を維持するには、その両方が必要なのです。

研究とは、知識の生産である。

そして学術研究とは、「遠い未来」のための知識の生産である。

これが研究の、第一の側面です。

研究とは、人類の共同事業である

私たちは、新たな知識をゼロから生みだすわけではありません。

たいていの場合、既存の知識を活用します。

不良品率を減らしたいときには、同業他社の工場を見学したり、オペレーションマネジメントの書籍を読んだりします。マネージャーとしてうまくやっていきたいときには、マネージャー研修を受けたり、先輩マネージャーから考え方を教わったりします。

もちろん、既存の知識だけで「目の前」の問題が解決することは珍しい。そのため、既存の知識をベースにしながら、「目の前」の問題のための知識を生産することになります。既存の知識を活用することによって、ゼロから知識を生産するよりも圧倒的に効率が良くなるわけです。

そして、新たに生産された知識は、さまざまな形で発表されます。他社からの工場見学を受け入れるとか、部署の後輩に助言をするとか、あるいは中小企業家同友会のイベントでプレゼンするとか。このような形で発表された知識は、別の誰かにとっての「既存の知識」となって、さらなる知識の生産に活用されます。

言うなれば、これは人類の共同事業です。

既存の知識を活用して、新たな知識を生産する。生産された知識は、人類の知識体系に組み込まれ、また新たな知識の生産に活用される。こうして人類の知識は豊かになっていきます。

そうは言っても、これは理想論です。

現場では「車輪の再発明」がたくさん起きています。すでに確立された解決策があるのに、それを知らないままに悩んだり失敗したりすることが多々あります。また、生産された知識が秘匿され、部外者が活用できないこともよくあります。

しかし学術研究は、「人類の共同事業」という理想論を、本気で実現しようとします。

そのため、研究者は、徹底的に先行研究(既存の知識)をリサーチします。既存の知識で事足りるなら、わざわざ新しい知識を生産する必要がないからです。そして、どうしても既存の知識では対応できないときに、ようやく新しい知識が生産されます。

もちろん、生産された知識は、発表されなければいけません。

それが「論文」です。

新しい知識が「論文」として発表されることで、その知識は他の研究者によって検証され、人類の知識体系に組み込まれることで、さらなる知識の生産を促します。知識の生産を、本気で「人類の共同事業」にするために、さまざまなルールや手続きを定めているのが学術研究なのです。

研究とは、人類の共同事業である。

そして学術研究とは、「人類の共同事業」という理想論を本気で実現しようとする営みである。

これが研究の、第二の側面です。

研究とは、思想である

研究者は、さまざまな選択をします。

どの学問分野で研究をするのか。

どのようなテーマで研究をするのか。

どのようなデータを集めるのか。

どのようにデータを解釈するのか。

このような選択を積み重ねた先に、ようやく一本の論文が完成します。つまり、一本の論文には、研究者の膨大な選択が圧縮されているのです。

ここに研究者の思想が表れます。

論文を書くとき、本当に問われているのは「私は、なぜ研究をするのか」ということです。どの学問分野で研究をするのか。どのようなテーマで研究をするのか。どのようなデータを集めるのか。どのようにデータを解釈するのか。膨大な「What」「Which」「How」を乗り越えようとするとき、そこに滲み出てくるものこそ研究者自身の「Why」なのです。

優れた研究には「Why」が必ず存在する。

優れた論文は、思想に導かれて誕生する。

そもそも学術研究とは、「遠い未来」のための知識生産です。だからこそ、どのような社会を理想だと考えるのか、いかなる未来を構想するのかが常に問われています。これに答えるためには、思想が必要です。学術研究と思想は縁遠いものと思われがちですが、本当は表裏一体のものです。

研究とは、思想である。

これが、研究の第三の側面です。

結局、研究とは何か

ここまで、研究の三つの側面を説明しました。

  • 研究とは、知識の生産である
  • 研究とは、人類の共同事業である
  • 研究とは、思想である

しかし、これらはあくまで「側面」です。

研究の本質はさらに深いところにあります。

ここから先は、私自身の解釈です。

研究とは、「恩送り」である。

私はこう考えています。

私たちの日常生活は、先人たちの研究の積み重ねによって成立しています。文字通りの意味で、あらゆるものごとが過去の研究に支えられています。

だからこそ、「恩送り」なのです。

未来の人々が豊かに生きられるように。

社会の破綻を防ぐために。

連綿と続く人類史の1ページとして。

研究とは、「恩送り」である。

これが私なりの答えです。

この「恩送り」に参加しませんか?


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